早坂茂三記者が書いた伝説の田中角栄記事

『東京タイムズ』昭和37年7月30日付1面

 かつて政界には、様々なタイプの大物秘書が存在しました。中川一郎秘書の鈴木宗男、竹下登秘書の青木伊平、池田勇人秘書の伊藤昌哉、益谷秀次秘書の辻トシ子、中曽根康弘秘書の上和田義彦、岸信介の秘書団……小泉純一郎内閣における飯島勲秘書官の活躍は、記憶に新しいところです。

 そうした大物秘書たちの中でも、とりわけ有名な存在が、田中角栄秘書の早坂茂三でしょう。昔のニュース映像などで、よく角栄の隣に映っている眼鏡のオッサンです。ツワモノぞろいの角栄秘書団にあって、マスコミ担当を務めた大物秘書の代名詞。晩年は、離陸前の飛行機を止めるなど、政治評論家として勇名を馳せました。

 角栄の秘書になる以前、早坂は東京タイムズという新聞の記者でした。その前は共産党員。拙著『田中角栄を総理にした男』でも触れましたが、中学生の頃は、五島勉なる先輩に、ブン殴られていたそうです。『ノストラダムスの大予言』で一世を風靡した、あの五島勉です。それはいいとして、早坂は政治記者時代、のちに伝説となる記事を書いています。

 昭和37年7月、第二次池田勇人内閣が、再改造人事に取り掛かった時のこと。早坂は組閣前、当時政調会長だった角栄からさりげなく、ある書類を見せられます。それは角栄自身が書き上げた、組閣案でした。

 そこには何と、「大蔵大臣 田中角栄」とあった。驚くべき人事です。蔵相といえば、副総理級の大物が就く最重要閣僚。他方、角栄はまだ44歳。しかも大学を出ていません。さすがの早坂も、卒倒しそうになったでしょう。

 角栄政調会長は、「書くな。書いたら潰される」と口止めします。「組閣が終わったら、解説記事でふんだんに使え」との条件で。

 早坂は約束を守り、この抜擢人事を書きませんでした。おかげで(?)角栄は、「予定通り」大蔵大臣に就任。天下盗りへ向け、大きな一歩を踏み出します。

 組閣後早坂は、これも約束通り、一面の半分を使って解説記事を書きます。題して「自民党のヌーベル・バーグ 大平・田中ラインの課題」。(H)の署名が入っています。それが、上記の写真の記事です。

 早坂が、著書の『オヤジとわたし』や『鈍牛にも角がある』などで紹介している有名な記事なので、ご存じの方も多いと思います。でも、実際に読んだことのある方は、ほとんどいないのではないでしょうか。

「ヌーベル・バーグ」とはフランス語で「新しい波」。当時、フランス映画界で「ヌーベル・バーグ旋風」(ゴダール監督の『勝手にしやがれ』など)が起きており、そこからヒントを得たそうです。

 この記事が出てから4か月と少し後、早坂は新聞記者に別れを告げます。田中角栄の秘書となったのです。一時、田中ファミリー企業へ出向するなど色々あったようですが、ロッキード事件後は、「国会議員数人分のパワー」「昭和の柳沢吉保」と称されるほどの存在感を発揮しました。

 先にも少し触れましたが、角栄がロッキード事件で有罪判決を受けた際の映像は、みなさんご覧になったことがあると思います。引きつった笑顔(?)で右手を上げる親方の横で、鬼の形相を見せる早坂。一度見たら忘れられないシーンです。

 実のところ、早坂は「側近ナンバー1」というわけではなく、「ナンバー5」ぐらいだったと思います。角栄の秘書には、幼少期から共に過ごした親族もいましたし、政治家になる以前からの側近もいました。でも「田中角栄秘書」といえば、今も多くの人が、早坂の顔と名前と態度を思い浮かべるのではないでしょうか。

 昭和60年2月、角栄が病に倒れると、娘の真紀子氏が田中家を仕切り始めます。すると早坂は、他の実力秘書らと共に、首を切られてしまいます。以後、角栄に会うことはかなわなかったとのこと。さぞや、無念だったでしょう。

 心ならずも「オヤジさん」の許を離れた早坂は、昔取った杵柄で、政治評論家へ転じます。独特の口調・文体で語られる角栄伝は、身びいきはむろんありますが、面白さは抜群。早坂の語る角栄像が、そのまま一般的な角栄像になっている……そんな感すらあります。

 筆者も早坂の著作は全て読み、雑誌記事も渉猟しました。「私は北海道産のヒグマでございます。(暑がりなので)上着を脱いでよろしいでしょうか!」の掛け声で始まる講演も、2度、聴きに行きました。古今の政治家を忖度なしで料理していく‶早坂ブシ〟を、大いに満喫したものです。講演の最後、大拍手の中で見せた「角栄仕込みの丁寧なお辞儀」も印象的でした。

 写真の記事もまた逸品。‶大角(大平と角栄)〟に対し、本当に関心があることが伝わってきます。書きたくてしょうがないから書いた、という早坂の思いが滲んでいます。こういう文章には、なかなかお目にかかれません。

 60年以上経っても色あせない。のちの世代に「読んでみたい」と思わせる。そういう記事が今後も出てくることを期待します。

 ※本記事では、文化庁「著作権テキスト-令和5年度版-」の【「引用」】(第32条第1項)を参考にして、写真を引用しました。もし問題がありましたら、恐縮ですがご一報いただけますと幸いです。