
『東京タイムズ』昭和37年2月7日付1面
昭和37年2月4日、アメリカから司法長官がやってきました。その名はロバート・ケネディ。ケネディ大統領の実弟です。
のちに兄と同様暗殺されてしまうロバートは、2月6日に自民党の中堅・若手議員らと、「非公式」に懇談しました。参加したのは田中角栄、中曽根康弘、宮沢喜一ら錚々たる顔ぶれです。
会合は、ジョークの応酬から始まりました。仕掛けたのは日本側。英語の達人・宮沢が、その日朝に発生した地震をネタに、先制パンチをかましたのです。「今朝はささやかな地震をプレゼントしました……」。これに大笑いしたロバートは、「珍しいプレゼントをありがとう」とやり返します。
……あまり面白くないですが、一部インテリや上流階級の間では、こういう諧謔が受けるのでしょう。外国要人との懇談・交渉が得意な宮沢には、「(相手から)ダイヤモンドと呼ばれた」「ブリリアントと称された」「通訳の間違いを指摘した」等々のエピソードが残っています。
さて、ハイブローなジョークの後、話題は沖縄返還問題に及びます。沖縄が本土へ復帰するのは、この日から約10年後、昭和47年のこと。昭和37年当時の沖縄は、まだアメリカの施政下でした。そこで田中角栄が、米大統領の弟に、‶沖縄発言〟といわれる以下の提案をしたのです。
「現在のままで日本に返還する場合、安保条約と憲法の2つの問題がからんでくる。米国が沖縄を返還するには日本の憲法が改正され、再軍備して共同の責任で防衛体制をとらねばできない」
「現在のままで沖縄返還を米国が提起しても日本国憲法は軍備、とくに核兵器保有を禁止しているので不可能であろう」
「現在の国際情勢とくにソ連、中共への巻き返しの意味からも米国が沖縄を返還するには日本にたいして憲法改正、再軍備を提起して日本がそれを受け入れねばならない」
この角栄の提案に対し、ロバート・ケネディは「あなた方の主張はじゅうぶん大統領に伝えたい」と応じます。その場では、何の問題も無かったようですが、当時はセンシティブな話題であった「憲法改正」「再軍備」に触れたため、大きな騒ぎを招くことになったのです。
翌7日、角栄の発言を、東京タイムズが一面トップで報じます。それが上記の写真の記事です。
これを書いたのは、その後角栄の秘書となる、早坂茂三記者。『オヤジとわたし』をはじめとする早坂の著書で紹介されている、のちの主従の‶なれそめ〟となった報道です。なお、早坂は「私のスクープ」と書いていますが、読売も二面ではありますが報じています。
‶護憲〟を旗印にする社会党は「敵失」に浮かれ、「憲法改正・再軍備の意図を露骨に示すものだ」「国内問題で米国の提起を求めるなど卑屈もはなはだしい」と追及します。後者に関しては、確かにその通りかもしれません。
思わぬ騒ぎを巻き起こしてしまった角栄は、「田中個人の資格で発言した‶非公式〟発言だ」と釈明します。しかし当時の角栄は、党三役の一角を占める政調会長。社会党は納得せず、予算審議は中断してしまいます。
「辞めろ」「ヒゲを剃れ」と騒ぐ社会党。のみならず、自民党内からも「余計なことをしゃべってくれた」なんていう声が出てきます。裏で社会党に協力し、角栄やそのボスの佐藤栄作を追い落とそうとする動きも、少なからずあったとのこと。まあ、政界ではそんなことは茶飯事で、「後ろから鉄砲を撃つな」「最後まで支えろ」などとわめく方が異常だと思います。ともあれ政調会長は、いよいよ追い詰められてきたわけです。
審議がストップして2日目の8日夜、1人の記者が角栄のもとへ現れます。当該記事を書いた張本人・早坂茂三記者です。早坂が田中邸の門をくぐるのは、初めてのことでした。
「あの記事を書いたのは私です」と名乗り出た早坂に、渦中の角栄は答えます。「あ、君か、君なら顔を知っている」。破顔一笑した政調会長は、こう続けます。「新聞記者は書くのが商売、政治家は書かれるのが商売だ。今度の勝負は君の勝ちだ」――顔だけではなく、眼まで笑って握手してくる角栄に、早坂は感激。書かれる人と書く人は、一気に親しくなったのです。
翌9日夕、角栄が非公開の衆院予算委理事会に出席したことで、事態は急転直下、解決に向かいます。にわかに事態を収束させるとは、角栄は理事会で何を言ったのか? 野党を黙らせる大演説でもぶったのでしょうか?
いや、たいしたことはしていません。たった1行しか書かれていない次の紙切れを、ただ読み上げただけです。「私の発言は遺憾でございました」。……これだけで、全てが丸く収まったのです。
むろん、こんなのは単なる儀式でしょう。水面下では何か「お土産」でも差し上げて、落としどころをすり合わせていたに違いありません。とにかくこれでケリがつき、予算審議は再開。政調会長の首はつながりました。角栄と早坂とを結び付けた‶沖縄発言〟のてんまつは、自社(自民党と社会党)なれ合いの見本でもあったということです。
この手の与野党なれ合いは、今もしばしば見受けられます。今度の衆議院選挙では、「比例の票を掘り起こすため」という名目で、野党が乱立しました。しかし中には、与党系候補をアシストするためとしか思えない、野党候補の不思議な立候補もありました。裏取引、駆け引き、過去の経緯、しがらみ……与野党の背後で、これらが蠢いていることがわかります。政治家や政局を見る際は、あまり期待も信用もせず、一喜一憂もせず、冷徹に観察することが肝要でしょう。
それはさておき、写真の記事が出てから10か月後、早坂は角栄の家来となります。さらにその20年と少し後、‶闇将軍〟となっていた角栄の軍団の一員となったのが、若き日の石破茂首相です。
石破総理が田中派木曜クラブの職員となった頃、大物秘書の代名詞といえば早坂茂三でした。その後早坂は、言いたい放題・やりたい放題の政治評論家として活躍しますが(「早坂茂三記者が書いた伝説の田中角栄記事」参照)、自公過半数割れという今回の総選挙の結果を見たら、何と言うでしょう?
「オヤジはロッキードで耐えに耐えた。ここが踏ん張りどころだ、粘れ」と後輩を激励するか。あるいは「オヤジは潔く身を引いた。居座るな。見苦しい」と罵倒するか。はたまた「オヤジは野党操縦の達人だった。野党を上手く取り込め」と上から目線で指南するか。いずれにしても、「オヤジは……」で始まることは間違いないと思われます。
※本記事では、文化庁「著作権テキスト-令和5年度版-」の【「引用」】(第32条第1項)を参考にして、写真を引用しました。もし問題がありましたら、恐縮ですがご一報いただけますと幸いです。
