高市解散と抜き打ち解散

 昨日、高市総理が衆議院解散を表明しました。予算の年度内成立が厳しくなる冒頭解散は無いと見られていただけに、‶電撃解散〟との声もあがっています。また、首相と一部側近だけで話が進められ、幹事長ら党幹部が蚊帳の外だったことも、波紋を広げているようです

 さらに今回は、解散権の所在や行使についても話題になっています。「解散は首相の専権事項とは憲法のどこにも書いていない」「解散権の濫用だ」……これらは以前から、論点となっていたテーマです。前回衆院選から約一年四か月・三年近い任期を残しての解散だけに、今まで以上に問題視されているのでしょう。

 さかのぼること74年前、今回と似た解散劇がありました。昭和27年8月、吉田茂内閣のもとで行われた‶抜き打ち解散〟です。

 当時、吉田首相率いる自由党内は、吉田派と鳩山一郎派の対立が激化していました。そこで、吉田ワンマンの指南役の一人であった選挙の神様・松野鶴平が、「いっぺん洗い直して立て直す以外ない」と解散を進言。吉田はこれを採用し、反吉田派の虚をつく形で「抜き打ち」的に解散・総選挙がなされたのです。

 この時、解散の密議に参加した政治家は、ワンマンと松野のほか官房長官の保利茂、蔵相の池田勇人、郵政相の佐藤栄作、吉田の娘婿の麻生太賀吉らごく少数で、幹事長の林譲治らは外されていました。総理と官房長官、官房参与らだけで戦略が練られ、幹事長らが知らされていなかった今回と同じ図式です。

 保利いわく、松野は「党の方は俺がちゃんとしておく」と明言したそうです。しかし、後輩の林らを馬鹿にしていた松野は、実際には曖昧なことしか言わなかったとのこと。その結果、党幹部の間には、「俺たちに相談せず取り巻きが勝手に決めやがった」と反発が噴出。特に官房長官・保利茂への反感が高まります。

 吉田時代の終焉後、保利は長く冷遇されますが、このとき大顰蹙を買ったことも、ホサれた要因の一つでした。今回もまた、高市総理とその周辺への不満は、何かきっかけがあれば噴き出てくるでしょう。

 この抜き打ち解散は、解散日の二日前、日経新聞夕刊によってスクープされました。これもまた、読売新聞の速報によって幕を開けた今度の解散劇と似ています。特ダネを抜いたのは二人の記者。そのうちの一人は、その後自民党代議士となり、幹事長にまで上りつめる田中六助記者(武田良太元総務相の伯父)です。政治家としても一流だった‶六さん〟は、記者としても超が付くほど有能でした。

 スクープの端緒は、ある経済人が「さっき官房長官の保利茂が、解散せざるを得ないような情勢なので、その節は資金をお願いしたい……と頼みにきた」と漏らしたこと。それを各方面に確認してまわり、確信を得て報道した――というわけです。

 ちなみに田中六助記者が最後に当たった関係者は、蔵相秘書官だった宮沢喜一。両者はこの約三十年後、宏池会の後継をめぐって‶一六戦争〟を展開します。だが当時は一官僚と一記者として、親しく付き合っていたようです。

 しかし、経済人や秘書官までが解散の事実を知っていたなら、つんぼ桟敷に置かれた幹事長らの哀れさが際立ちます。役職上の距離と実際の距離が離れていることは、政界でも会社でもよくありますが……。高市解散においても、名前の挙がっている側近以外に、情報を伝えられていた関係者がいるかもしれません。

 さて、この抜き打ち解散は、憲法7条に基づき断行されました。おさらいしますと、憲法では7条と69条に、解散に関する条文があります。7条は、内閣の助言と承認による天皇の国事行為の一つとしての解散です。69条は、内閣不信任案が可決された場合等において、「十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と定めています。

 7条のみによる解散は、抜き打ち解散が初めてです。そして、これ以後の解散は、すべて7条に基づいて行われています。不信任案が可決された昭和28年(吉田内閣のバカヤロー解散)、昭和55年(大平正芳内閣のハプニング解散)、平成5年(宮沢喜一内閣のウソつき解散)の解散も、みな69条ではなく7条で解散しているのです。

 つまり、日本国憲法下の解散は、「69条および7条により」と併記された昭和23年の‶なれあい解散〟をのぞき、すべて7条解散なのです。これは記憶しておいてよいと思います。

 7条解散は、先述の通り「内閣の助言と承認による天皇の国事行為」です。なので、内閣のトップである首相が、事実上、解散権を握っています。そのため‶伝家の宝刀〟と呼ばれたり、「専権事項だ」などと錯覚する向きも出てきたりするわけです。

 7条解散に対しては、当時から疑義が出ています。抜き打ち解散時に衆議院議員だった苫米地義三による、違憲訴訟も起きました。また、抜き打ち解散前の昭和27年6月には、国会の両院法規委員会から両院議長に対し、「衆院解散は69条の場合に限らないが、解散権を濫用しないよう運用上について規制すべき」との勧告も出ています。仮に規制が出来ていたら、「濫用」の匂いがプンプンする高市解散は、封じられていたかもしれません。

 実は、抜き打ち解散のキーマンであった保利茂も、衆議院議長時代、解散に関する「議長見解」をまとめています。その要旨は上記の勧告と同様に、「解散権の濫用を戒める」というものです。

「‶七条解散〟は憲法上容認されるべきであるが、ただその発動は内閣の恣意によるものではなく、あくまで国会が混乱し、国政に重大な支障を与えるような場合に、立法府と行政府の関係を正常化するためのものでなければならない」「‶七条解散〟の濫用は許されるべきではない」(いずれも「解散権について」。『追想 保利茂』から引用)。

 この「議長見解」は、保利の没後に公表されたのですが、保利は生前から複数の記者に、「国会は国権の最高機関で、衆院議長はその長。首相が7条で解散しようとする時は、まず衆院議長の了承を受けるべき」「7条解散は与野党対立で国会がマヒしたり、国論を二分するような重大な問題が起きたりした時に限られる」と力説していたとのこと。

 自身も「解散権の濫用」に加担していた保利茂は、記者から「立場が変われば主張も変わってくるものですねえ」と皮肉られ、苦笑していたそうですが、高市解散をどう評価するでしょうか。やはり「濫用はよくないタイ」と戒めるのか、「抜き打ち解散の時のようにどんどん行け」と背中を押すのか。名うての寝業師だけに、予測不可能です。

 なお、抜き打ち解散の結果、吉田自由党は減退しました。吉田内閣は続いたものの、吉田派VS鳩山派の抗争も激化する一方で、「いっぺん洗い直して立て直す」との解散目的は果たせなかったといえます。「高市早苗が総理でよいのか、国民に決めていただく」という、一風変わった理由で解散に踏み切る高市首相は、その目的を果たせるのでしょうか。