蝶が舞った総裁選史上最大の激戦

 自民党総裁選は、9人による混戦となりました。公示日前日まで、候補者が順番に記者会見していく。8月中旬から9月下旬まで、一か月以上もメディアジャックを続ける……こういうやり方は、さすが自民党です。他党とは、知恵も執念も違います。

「後輩バッシング」が好きな元首相が、またも暗躍しているようですが、誰かが総裁になったら困るのでしょうか。ご自身こそ現職時代、総裁選で二股をかけたり、総裁下ろしに加担したり、裏切りを重ねたはずですが……。ともあれ、9人という立候補者は、もちろん過去最多です。今後もなかなか無いでしょう。その意味で、政治史に残る総裁選だと思います。

 しかし昭和の頃は、もっと凄い総裁選がいくつもありました。石橋湛山が大逆転で勝利した昭和三十一年の総裁選、数年に及ぶ長期戦だった昭和47年の角福戦争……わけても血で血を洗う大激戦となったのが、昭和39年7月の総裁選です。

 ニッカ、サントリー、オールドパー……カネにまつわるこんな隠語が生み出され、怪文書が乱れ飛んだ‶史上最低の総裁選〟。金権選挙の最たる例として、語り草となった総裁選挙です。

 筆者はこの時バラまかれた怪文書の中身を、一部、把握しています。拙著『田中角栄池田勇人かく戦えり』『田中角栄を総理にした男』の中で少し紹介しましたが、衝撃的な窃盗事件や隠し子騒動、あるいは国際的スキャンダルの話などが書かれています。総裁選後、関係者が不審死する事件も起きました。

 この総裁選に名乗りを上げたのは、池田勇人、佐藤栄作、藤山愛一郎の3名です。現職の池田が三選を目指し、池田とは‶吉田学校〟の同級生である佐藤がこれに対抗。財界出身の‶絹のハンカチ〟こと藤山が、そこへ絡んでいく……という図式です。

 池田は実力者・河野一郎(河野太郎議員の祖父)と組み、佐藤と藤山は決選投票での二、三位連合を企てます。事実上、池田と佐藤の対決でした。

 池田勇人と佐藤栄作は、政治史の中でも稀なほど、深い因縁があります。大正7年、旧制高校の受験日に出会い、同じ五高で学んだ二人。その後、池田は京大から大蔵省へ入省し、佐藤は東大から運輸省へと入省します。そして、戦火の余燼がくすぶる昭和22年、両人そろって次官に就任。ここまでは、両者「互角」でした。

 昭和23年秋、佐藤はまだ非議員でしたが、吉田茂内閣の官房長官に就任します。いわゆる吉田学校に、一番乗りで入学したわけです。佐藤は翌24年の衆院選で、議員バッジをつけますが、池田もこのとき初当選しています。旧制五高の同窓は、共に吉田学校の生徒になったのです。このあたりから、両者に微妙な差がついてきます。

 池田は当選後、いきなり大蔵大臣に就任します。吉田学校への入学は、佐藤が一足先でした。しかし、小差ではありますが、池田は一気に佐藤を抜いたのです。そして、その後も吉田学校の中で、「池田、佐藤」という順序が入れ替わることはありませんでした。

 佐藤は池田に対し、「政界では自分の方が先輩」との意識を持っていたそうです。けれど、吉田校長が可愛がったのは、池田の方でした。田中角栄に言わせると、吉田が佐藤よりも池田を好んだ原因は、「人は自分より美男でないのが可愛い」からだそうです。

 それはさておき、首相になるのも池田が先でした。昭和35年、安保改定を機に岸信介内閣が退陣。この時、岸の弟である佐藤もやる気満々でしたが、結果として佐藤は池田を推し、池田内閣が発足したのです。

 池田は「所得倍増」を掲げ、高度成長の先導者となりました。国民の支持も比較的高く、再選を果たします。佐藤も渋々容認しましたが、「池田三選」となるともう黙っていられません。池田内閣の国務相を辞し、三選阻止のため立ち上がったのです。

 池田と佐藤という、吉田学校の優等生同士の対決は、後世に語り継がれるほどの大激戦となりました。見てきたように、同窓生の二人。多くの思い出を共有してきた二人。近親憎悪がつのった両横綱の激突は、既述のような多くの隠語も生み落としました。

 二派からカネをもらうことを「ニッカ」、三派からもらうことを「サントリー」、各派からもらってどこにも入れずパーにするのを「オールドパー」、所属派閥のボスからカネをもらってその意向に従うことを「灘の生一本」……。

 このように、酒をもじった隠語が生まれたかと思えば、派を一括して買収する「トロール漁法」、自派議員をカネで引き留める「防弾チョッキ」などの隠語も誕生しました。

 近年は、こんな露骨にカネが飛び交うことは無いようです。その代わり、「明智光秀」だの、「後ろから鉄砲を撃つ」だの、印象操作・レッテル貼り合戦がかまびすしい。言論封じ、自由な行動封じより、金権の方がマシだし面白い――などと言ったら不謹慎でしょうか。

 話を戻すと、この総裁選で最も活躍したのが「忍者部隊」。これは佐藤陣営が、池田陣営の中にスパイを潜ませ、池田支持議員を「一本釣り」していく戦法です。「忍者」は「隠れキリシタン」とも呼ばれました。

 忍者部隊を指揮していのが、福田達夫議員の祖父・福田赳夫です。「高度成長」の向こうを張って「安定成長」を唱えるなど、福田は大蔵省の先輩である池田に批判的でした。福田の後ろ盾が佐藤の実兄・岸信介です(今なら福田や岸の行動は、「池田の後ろから鉄砲を撃つ行為」だと非難されてしまうのでしょうか?)。

 この忍者部隊に悩まされた池田支持の某派は、「逆スパイ」を仕立て上げました。すなわち佐藤陣営に、逆に‶忍者〟を送り込んだのです。逆スパイに選ばれたのは金持ちで、入閣の可能性がゼロの政治家でした。カネとポストで釣られる心配が無いからです。

 逆スパイによる調査の結果、某派の3名が佐藤派の忍者と発覚。某派の若手がそのうちの1人を問い詰めると、その男は驚くべき行動に出たのです。

「そうか、バレちゃしょうがない」と観念した彼。これまで派閥ボスの言いなりだった、自分の思う通りに動けなかった、真っ暗のトンネルを抜けたら蝶々がヒラヒラ舞っている、等々の愚痴を並べた挙句、「今回は俺を自由にさせてくれ」と言って立ち上がります。

 すると、その議員は両手を広げ、蝶が舞う仕草をしながら「では皆さん、サヨナラ~」などと別れの言葉を吐き、どこかへ飛んでいったのです。

 蝶の行先は、案の定、佐藤陣営の会合でした。到着するや否や、蝶は拍手で迎えられたとのこと。今度の総裁選でも、選対に嫌々参加している政治家や、他派や引退議員に情報を流している政治家が、たくさんいるのでしょう。よもや、蝶々は飛ばないと思いますが……。

 公選の結果、池田勇人が242票を獲得し、過半数を4票上回って辛勝します。佐藤栄作は160票を獲得し、藤山愛一郎も72票を獲得。二、三位連合を組んでいた佐藤と藤山の票を足せば、池田との差はわずか10票でした。

 三選された池田は、直後に体調を崩し、総裁選から4か月後の昭和39年11月に退陣。後継には佐藤が選出され、8年近い長期政権が始まります。

 池田も佐藤も、この総裁選のごとく、激しい権力闘争を辞さない政治家でした。一方で、立派な業績を残した宰相でした。池田は所得倍増を実現し、佐藤は沖縄・小笠原の返還を実現。いずれも歴史に残る偉業です。

 時に手段を選ばぬことがあっても、大きな仕事を成し遂げた大宰相――それが、池田勇人と佐藤栄作です。昭和39年の総裁選が、あれほどの死闘となったのも、両者の力量が傑出していたからだと思います。今度の総裁選で選ばれる候補も、池田、佐藤に負けない業績を残してほしいものです。

 なお、この昭和39年の総裁選は、池田、佐藤、藤山の戦いですが、投票では灘尾弘吉にも1票入っています。そのため灘尾も出たと勘違いしている向きがあるようです。しかし、灘尾は名乗りを上げていません。灘尾は佐藤陣営だった石井光次郎派の幹部でしたが、この総裁選では個人的に親しい池田を推しています。

「ブーム便乗型の角栄本」の中には、あろうことか「四派(池田、佐藤、藤山、灘尾)からカネをもらうのがオールドパー」などと解説している本までありますが、ふざけた話です。「何でもライター」の類が書いた政治の本や記事には、この種の初歩的な事実誤認や思い違いが多いので、読む際には注意が必要です。