「保守本流の宏池会(岸田派)、平成研(茂木派)に対し、清和会(安倍派)は保守傍流」「安倍派はもともと傍流中の傍流」……こんな意見をよく見かけます。しかし、これはだいぶ荒っぽい見方です。少なくとも、安倍派は「傍流中の傍流」などではありません。
昭和30年、吉田茂のいた自由党と、鳩山一郎のいた日本民主党が合同し、自民党が誕生しました。このうち、吉田自由党の系譜を継ぐ岸田派(源流は池田勇人派)と茂木派(源流は佐藤栄作派)の流れが「保守本流」とされ、鳩山民主党の系譜は「保守傍流」であるとされています。安倍派の源流は、鳩山民主党に連なる岸信介派ですから、なるほど安倍派は「傍流」かもしれません。
けれども、そういう捉え方が一般的になったのは、21世紀に入ってからの話です。それ以前は岸派や、その後身である福田赳夫派も、しばしば「保守本流」と呼ばれていました。
例えば、「保守本流三派体制」という呼称があります。これは、昭和53年に発足した大平正芳内閣が、大平派、田中角栄派、福田派に支えられていたことを表現したものです。さかのぼれば吉田茂に行きつく大平派、田中派と並び、鳩山一郎、岸信介の流れである福田派も、「保守本流」とみなされていたわけです。
昭和44年に出版された『戦後日本の保守政治』(内田健三)には、次のような記述があります。
「保守本流とは一般に、吉田―岸―池田―佐藤とつながる系譜とされ、これに対して、鳩山、石橋(湛山)、河野(一郎)、三木(武夫)、藤山(愛一郎)らは、保守傍流として総括される」
「保守本流を吉田嫡流と同義語だとするならば、岸はじつは保守傍流である。(中略)しかしその後、岸政権が実現し、福田はその下で党政調会長、幹事長、農相となり、安保改定を通じていわば吉田の‶認知〟を受け、保守本流に組み入れられていった」
注釈付きではあるものの、岸も福田も「保守本流」だと評しています。当時の雑誌には、「野武士上がりの田中角栄に対し、福田赳夫は大蔵省出身で保守本流の出」といった記述もあります。吉田に連なる角栄ではなく、エリートコースを歩んできた福田こそ、「保守本流」であるというわけです。
平成の半ば頃までは、新聞の用語解説等でも「保守本流とは池田派の系譜と、佐藤派および同派から分かれた田中派と福田派」と説明されていました。近年、「安倍派は傍流中の傍流」といった短絡的な言説が流れているのは、政治史に疎い記者らが増えたからでしょう。ちなみに福田赳夫自身は、「保守正流」を自称していました。
また、鳩山―河野一郎の系譜を継ぐ中曽根康弘をも、「保守本流」とみなす意見があります。これは、中曽根内閣で幹事長を務めた田中六助が言い出したもので、学者の中にも同意見がありました。中曽根の出自は傍流でも、その政治は保守本流の政治――というのです。
さらにいえば、「鳩山一郎も保守本流」とする説まであります。唱えているのは他でもない、吉田茂の秘書官を務めた松野頼三です。松野によれば、「吉田・鳩山の争いは、保守本流の中での争い」「鳩山さんはじめ三木武吉、河野一郎は保守本流の横綱」(『保守本流の思想と行動』)であるとのこと。そもそも吉田自由党の起源は、鳩山一郎がつくった日本自由党ですから、特に珍説でも謬説でもないと思います。
吉田茂の系譜のみを指したり、岸信介や福田赳夫も含めたり、鳩山一郎や中曽根康弘まで入れたり……これだけでもややこしいですが、吉田茂―佐藤栄作の流れをくむ田中角栄を、「傍流」と見る向きさえあります(例えば元衆議院議長・坂田道太)。
角栄は生粋の自由党ではなかった。民主党(鳩山一郎の日本民主党とは別の党)から合流してきた。だから本流ではない――というわけです。
しかも保守本流とは、人脈のみならず、政策の定義も難しい。通常、保守本流の政策とは、「経済重視・軽武装路線」とされています。事実、保守本流の申し子のような宮澤喜一は、そのように規定していました。
しかし、前出の松野頼三は、ここでも通説を否定します。「保守本流とはイデオロギー的規律集団ではないから、『本流の政策』というものはない」と。確かに、どの派閥を選ぶかは、政策や思想より、利害や選挙区事情や人間関係が決め手の場合が多いです。安倍派の議員に出馬を促されたから安倍派に入るとか、田中派に入れば陳情その他で有利だからとか、同じ選挙区に福田派の議員がいるから大平派に入るとか。なので、「政策がない」のも、ある意味では当然かもしれません。
人脈も曖昧、政策も曖昧……こうなると、もう、おおまかな定義づけすら難しくなります。各人各様の定義がある、といっても過言ではないぐらい、幅のある表現が「保守本流」だといえるでしょう。
「保守本流」なる言葉が使われ出したのは、昭和30年代からでした。そして40年代に入り、佐藤長期政権~田中内閣発足を経る中で、政界用語として定着していきます。
その背景には、政局的要素が多分にあったと思います。「自分たちは本流」「あいつらは傍流」と定義することで、政界における地位、正統性、存在感に差をつける。そうした思惑が、「保守本流」「保守傍流」という用語を浸透させたのではないでしょうか。
「保守本流」の語句がまだあまり使われなかった池田内閣の頃は、「三派三役」「主流三派」なる政界用語がありました。この場合の「三派」とは、池田派、岸派、佐藤派を指します。主流の三派がまとまって政権を支えれば、政治は安定する――というわけです。「保守本流」とニュアンスが似ていますが、今ではほぼ使われなくなりました。
同じく廃れた政界用語に、「タカ派」「ハト派」があります。主として外交・安全保障政策で、強硬的な姿勢をとるのが「タカ派」、穏健的な姿勢をとるのが「ハト派」。「保守本流はハト派」といった見方もありました。しかし今では政界より、金融界でよく使われる言葉のようです。
政治には「過去~現在・未来」という「縦軸」があり、「各党や政策の幅」といった「横軸」があります。「保守本流」なる言葉は、縦軸を見る際の、一つの観点を示しています。ですから将来も、使われ続ける用語でしょう。今後、「保守本流」、あるいは「保守傍流」の4文字を見かけたら、文脈はどうあれ、「幅のある用語なのだ」と意識されるとよいかと思います。
